To be (どう在りたいか?)

友人とランチにて、色々な話題を話す中で話が及んだのは部下・後輩の人材育成。

最近の若い子は感性が低く、相手の立場を慮った対応ができない。だけど上司は何とかしろって言うだけし・・・うんぬんかんぬん。そーだよーねーと中間管理職が持つ共通の悩みを聞きながらカレーをつつく。

最近 彼女の上司が 『ゆとり世代の育成方法』なるセミナーに参加して、その内容を踏まえて友人は上司から若手の育成について「あーしろ、こーしろ」と指導方法について言われたらしい。

友人は言う「『ゆとりだから』と一括りにするのはおかしいと思うの。」

続けて「ゆとり世代でもやる子はちゃんとやるの。私たちだって手取り足取り教えてもらってないし。だからあれこれ指示はしなくてもいいと思う。やる子は自分から学びに来る」という見解。

現代は情報化社会。わからないことがあれば目の前のパソコンが教えてくれる。それに入社してくる後続は年々減ってきているからか上司・先輩は(逃げられないために?)手取り足取り教える時代。

反対に私たちは手取り足取り教えてもらった記憶はない。仕事の内容はもちろん教えてもらうけれど、そこから先は自分で学ぶ。

私はデキる先輩・上司に見つけて、見よう見まねで先輩の一挙手一投足を真似したり、上司・先輩が参加する飲み会に参加して(企画して)、隣にわざとらしく座っては仕事に対する考え方・向き合い方を聞いたりして自分から吸収しに行ったもんだ。

でもそれって世代の差なのかな?私たちの世代でも受け身な人は受け身。

結局は与えられた仕事の中で「自分が「どうありたいのか」」を考えた人が力を伸ばしていくのだと思う。そこに世代は関係ない。

「与えられることが当たり前」の昨今の若者に足りないのは「自分がどうありたいのか」を「自分」で考えることかもしれない。

子供がいないから現在の教育事情について安易なことは言えないけれど。

「どうありたい(To be)」を考える機会がなかったら、大人になって端とわたしゃ、どうしたいんだ?と悩み出し自己啓発セミナーが活況になる構図なんですかねぇ。勝手な空想ですが・・・・。

違っていたらすいません。

ただ漠然と「『どうありたい』と自ら考える」ことは、ゆとり世代以下のことだけではないなーと思って。

私自身 セミナーを主催したりして受講する参加者さんがたくさんいる。それに最近は私自身が教える側にもなってきた。

その際 留意すべきことは、受講側に自分が知ってる知識やノウハウをただ単に与えるのではなく、彼らが「どうありたい」のか、得た情報を使って「どうしたいのか」など、個々にとってのコンセプトや柱をきちんと自分で考えさせることなのかもしれない。

柱が決まりさえすれば、知識やノウハウは砂が水を吸うように入っていくはず。あれもこれも教えなくても…。

そんなことを考えたランチ。

桃のかき氷(950円!!!!!!?????)が無茶おいしかったー!