平和を考える沖縄


夫の後ろをちょこちょことついて行く沖縄旅。

今日は近代史オタクな夫について沖縄南部、沖縄県平和祈念記念館とひめゆりの塔へ。

5年以上前に義両親を連れてきたことがありますのでこちらの場所は2回目の訪問です。


祈念資料館に入る前に献花をしました。ここでは沖縄戦で亡くなった約20万人の方々のお名前が県別に石碑に刻まれています。

太平洋戦争の中でも沖縄戦のことは、やはり日本人として心に止めておくべき出来事。

平和祈念資料館では、沖縄戦に至るまでの歴史、3ヶ月間に渡って空襲・射撃・砲弾といった暴風雨ならぬ「暴風鉄」を浴びた沖縄戦の惨劇、住民の証言などが展示。

資料館では悲惨な展示コーナーを抜けるとガラス一面に広がった美しく青い海が見えます。今は美しい青い海ですが、当時は真っ黒な軍艦に包囲されていたのかと思うと怖さで震えます。

ひめゆりの塔(資料館)でも女学生たちが戦地に駆り出された経緯・状況・証言などが展示されています。歴史で学んでいても、これらの場所で戦争の実相に触れると深く考えさせられるものがあります。

沖縄戦では20万人もの方々が犠牲になりましたが、そのうちの半分以上 12万人が一般市民だったのがひとつの特徴だそうです。

砲弾や爆撃だけでなく、マラリアや本土から見放された結果 物資が底をつき飢えで亡くなった方も多いそうですが、何よりも心を刺さったのは「自決」という死因です。

「鬼畜米英」という思想・教育のもと「捕虜になるのは辱め」と信じ、もしくは逃げろと言われても「一緒に死ぬ」と自分の手で手榴弾を引くなどして自らの命を絶った方がとても多い。

歴史の一端としてこの史実は頭で理解していても実際 このような場所でその実態を目の当たりにすると受け止め方が全く違います。

ひめゆり平和祈念資料館に掲載されている設立趣旨の一フレーズが印象的でした。

「私たちに何の疑問を抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育をわたしたちは忘れていません」

今、私たちが「お国のために死ね」と言われても「ふざけるな」と言えることができます。現在は生きてることが当たり前で「自分らしい生き方」に戸惑う時代。

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でも当時は人生に選択肢などなく、命が自分のものであって自分のものではなく、国のために命を差し出すのが「当たり前」どころか寧ろ「喜ぶべきこと」。国のために命を差し出し靖国神社に奉られるのが誉れと書かれていました。

教育の重要性、恐ろしさを感じざるを得ない時間でした。

近代史オタクの夫は「教育とは洗脳」という例えをしておりました。

政治的意見をこの場で述べるつもりはありませんが、最近はマスコミの論調ひとつで世論が大きく傾くと思うことは多いです。

自分のたちの未来を見誤らないためにも情報を鵜呑みにせず、咀嚼し考える力がより求められている時代なんだなと思います。

多くの命の代償の上に成り立っているのが現在であり、私たちの命。

「学校では教えてくれない生理の話」では、命が誕生する奇跡さについて考えさせられますが、違った視点においても今 現在生きていることの意味や「平和とは何か?」を改めて考える機会になりました。


沖縄は深い。